イスラームの信仰は5つの柱に支えられています.
『アル・アルカーン・アル・ハムサ(5つの柱)』です.
1.シャハーダ
信仰告白です.
日本語にすると『アッラーのほかに神はなく,ムハンドはアッラーの使途である』となります.
エジプトでは礼拝のときだけでなく,日常的によく口にされる決まり文句です.
ムハンマドというのは,イスラーム教の開祖です.
2.礼拝
エジプトで信仰されているイスラーム教はスンニー派です.
スンニー派では1日5回の礼拝が義務づけられています.
3.ザカート(喜捨)
エジプトでは,ザカートは自発的なものではなく『義務』として制度化されています.
チップとは違うのです.
自発的な喜捨は『サダカ』と呼ばれ,『バクシーシ』と呼ばれることが多いものです.
義務である『ザカート』は,貧しい巡礼者や借金を返済できない人のために用いられます.
エジプトを旅していると,『バクシーシ,バクシーシ』と人びとが寄ってきて,困ってしまうことがあります.
弱い人は強い人から施されるのは『当然である』という意識に基づいた習慣です・・・観光者には理解できなくても・・・これはその地に根付いたものなのです.
4.断食
太陰暦の第9月は『ラマダーン』と呼ばれます.
第9月1日からイスラーム教ではラマダーン『断食月』となります.
第10月の1日からが『イード・アル・フェトル』(断食月明けの祭り)となります.
5.巡礼
イスラームの5つの柱の最後は,巡礼です.
第12月の巡礼月の8日〜10日まで,定められた方法にしたがってメッカを訪れるのです.
これは余裕のある人だけで,彼らは帰国すると『ハッジ』と呼ばれて尊敬されます.
このあと,『犠牲祭』が始まるのです.
羊料理を囲み,豊かな人は貧しい人たちにおすそわけをするのです.
ナイル川は,エジプト人にとっての貴重な水資源であるばかりでなく,エジプト国内における有用な移動手段でもあります.
ルクソール〜アスワン間,アスワンハイダム〜アブ・シンベル間を運航する,ナイル川クルーズ船は非常に有名です.
豪華客船内では,豪勢なディナーとショーが繰り広げられ,沿岸から見ていても夜のナイル川に浮かぶその姿にはうっとりします.
フルーカといって,ゆったりと風任せで進む帆掛け舟も是非,乗っていただきたい乗り物です.
フルーカは移動手段というよりも,ゆったりとナイル川をくだり,夕涼みをするといった感じです.
モーター付きのものもありますが,エジプト人のおじいさん・・・時にはかっこいい青年のことも.・・・が,巧みに風を操り,進んでいくモーターなしのタイプをお勧めします.
水上バスがあります.
これはカイロ市内のナイル川流域を移動するもので,実用的な役割を果たします.
船のバスと言った感じでしょうか?
クルーズは,ナイル川だけでなく,ナセル湖でも楽しむことができます.
アスワンハイダム〜ナセル湖間には豪華客船によるクルーズが運航されています.
このあたりには,エジプト人とは少し異なる様相のヌビア人たちの貴重な遺跡も点在しています.
フルーカを操るのも多くはヌビアの人たちです.
朴訥としながらも,陽気な彼らの奏でる楽器,ウードの音を聴きながらのんびりと夕闇を風に揺られるのもいいものですよ.
時間と料金といった実用的な面はさておき,『体験』という面で是非,利用してもらいたい,エジプトならではの交通機関に,ロバとらくだがあります.
ギザのピラミッド周辺では,らくだに乗って5分ほどぐる〜と一周して写真を撮ってくれる,というお馴染みの客引きをしています.
だいたい2ドルくらいです.
サッカーラやルクソール西岸でも,らくだ,またはロバに乗ることができます.
一人でも,またふたりで1頭に乗れることもあります.
いずれにしても,相場をよく知っておかないと,とんでもない値段をふっかけられることがあります.
値段交渉は必ず乗る前にすることが大切です.
バクシーシも当然のようにかなり要求されます.
らくだに乗る時には,座っているらくだにまたがって乗るのですが,らくだが歩き出すときにかなりガクンと揺れるので要注意です.
降りるときもどうようにかなりの揺れです.
綱を引いてくれるおじさん?は優しそうな人を選びたいものです.
ろばとらくだによる移動に関しては,あくまで体験を重視!
速さでいえば,はっきりいって歩いたほうが早いでしょう.
お尻がすれて赤くなったり,筋肉痛になることも・・・蚤でかゆくなることも・・・すべて体験です!
ルクソール東岸には昔ながらの馬車が健在です.
特にエスナやエドフなどであ,フェリー乗り場から神殿までの貴重な足となっていますし,思い出づくりにも一役買ってくれるでしょう.
中東一帯でよく見かける,インドのナンに似た,薄いもちっとしたパン.
アラブはこれを『ホブス』と呼びます.
エジプトではエイシと呼ばれています.
カイロでも,アスワンでも・・・羊肉を焼いたドネル・ケバブやオニオン,野菜などを挟んでケバブサンドにしたものをよく売っています.
実に簡単にできるので,是非,挑戦してみてください.
基本をマスターしたら,ニンニクをすりおろして生地に加えたり,いろいろなバリエーションをつけてみてもいいですね.
エイシ
・材料(1回に焼く適量)
・小麦粉(中力粉)・・・500g
*薄力粉と強力粉を250gずつ混ぜて代用してもOK.
・ドライイースト・・・6g
・砂糖・・・少々
・塩・・・9g(結構,塩味が効いています・・・お好みで調節してください)
・オリーブオイル・・・大さじ2
・コーンミール・・・1カップ
*無い場合は小麦粉で代用.
・水・・・350cc
・つくり方
1.ボールに小麦粉とコーンミール,砂糖,ドライイースト入れ,さっくりと混ぜ合わせます.
2.1に水とオリーブオイル,塩を入れてこねます.
べとつかなくなるまでしっかりとこね,30分寝かせます.
ボールにぬれ布巾をかけて発酵させます.
生地が膨らんできたら,ガス抜きをします.
3.手ごろな大きさ(1個60g程度)に小分けし,めん棒でそれぞれを丸く平らに伸ばします.
4.打ち粉をした天板に並べ,200度以上の高温で焼きます.
膨らんできたら出来上がり!
*オーブンがない場合は,オーブントースターでも出来ますよ.
ただ焦げやすいので注意してください.
タクシーでもなく,路線バスでもないのですが,決まった路線を,一定の乗客が集まった時点で出発するワゴン車です.
セルビスとは,サービスの訛りだそうです.
エジプトには,セルビスに似た交通機関のマイクロバスがあり,こちらは市内の大型バスルートのうちの主要ルートを走ります.
手を挙げて大声で叫べばどこででも停まってくれます.
行き先が同じで,空席があれば乗せてくれますが,満席だと乗車を拒否されてしまいます.
セルビスにもマイクロバスにも,『TAXI』と書いてありますが,両者の違いは,移動距離でしょう.
マイクロバスが市内であるのに対して,セルビスは主に中長距離を受け持ちます.
エジプト国内をすみからすみまで走っていますので,個人旅行の長距離移動には欠かせない存在です.
主要都市間なら24時間運行.
マイナーなルートでも,早朝から21時頃まではカバーしています.
料金は100kmの移動につき2.5£E程度です.
セルビスは途中乗車はできませんが,途中で下車することは可能です.
チャーターすることも可能なので,ある程度人数が揃うのなら,遺跡めぐりに1台チャーターしてまわってもらうのもいい考えです.
値段交渉は事前にしておくことが大切です.
セルビスの問題をあげるとすれば,一定の人数が集まらないと出発してくれないことです.
乗客が集まらず,1〜2時間待ちぼうけを食らわされることもざらです.
長距離を移動する場合や夜などは,空いていれば後ろの席がいいでしょう
エジプトでの旅は,時間と懐具合によって自分スタイルに組み立てていくことができます.
多少時間はかかっても格安で.という人は,長距離移動には鉄道やバスを駆使して,近郊や市内の足にはバスや地下鉄など公共交通機関および自分の足をとことん活用しましょう.
一方,費用はかかっても効率よく,身体への負担を抑えてまわりたいという人は,長距離移動は飛行機を,市内はタクシーを利用することをお勧めします.
エジプトの国鉄
国鉄にはいろいろな割引料金制度がありますので,うまく利用すると良いでしょう.
4歳までは無料,4〜10歳までは半額.
同日内での往復切符は25パーセント引き,1ヶ月以内の往復切符は10パーセント引きです.
学生割引30パーセントも嬉しいですね(IDカード提示).
キトメトリック・シーズンチケットというものがあります.
距離と期間限定の乗り放題の割引チケットです.
利用に際しては,各列車の出発の7日前から予約可能です.
カイロとアレキサンドリアを結ぶエアコン付きの1等,2等は,予約が必須です.
予約のキャンセルは,エアコン車の場合は,出発前の24時間以内なら可能です.
・急行列車(1等,2等があり,ビュッフェ付き.
主要都市に停車)
カイロとアスワンやアスワンダム,またはカイロとデルタ地方,地中海沿いにマルサ・マルトルーフへ向かう路線があります.
エアコン付きの上エジプト線には,寝台列車,食堂車が連結されていることがあります.
・普通列車(2等,3等のみで各駅停車)
エジプト観光においては,エジプトの古代史の知識があるかにかで,旅の奥行きがずいぶんと違ってきてしまうように思います.
少なくとも以下の人物については多少でも知識を踏まえたうえで,遺跡観光をするとよいと思います.
・メネス王(B.C.3100〜3000頃)
エジプト史上初めてエジプトを統一し,首都メンフィスを建設されたといわれる伝説の王.
・クフ王(B.C.2550頃)
古代エジプトの古王国時代第4王朝の王.
エジプト観光の目玉のひとつ,世界最大の墓とされる,ギザの第1ピラミッドを建設したことで知られます.
・ツタンカーメン王(トゥトアンクアムン)(在位B.C.1361〜1352)
古代エジプト新王国時代第18王朝の王.
古代エジプトで最も有名な王です.
20世紀に発掘された彼の墓から出土した秘宝は世界中をあっと言わせました.
実際,歴史的には無名の,青年王(9歳に即位し,18歳で死去)であったために盗掘を逃れたのです.
・ラメセス2世(在位B.C.1304〜1237)
古代エジプト新王国時代第19王朝の王.
モーセが出エネルギーを行ったときの王です.
かなり自己顕示欲の強い王だったようで,エジプトのあちこちの神殿に自分の名前を刻ませていたようです.
権力も壮大で,正妻4人,側室200人以上,王子や王女も200人以上いたようです.
強国ヒッタイトと戦い,世界最古の和平条約を結んだ王です.
・アレクサンドロス大王(在位B.C.332〜323)
ギリシアのマケドニアの王.
長期にわたる遠征によってユーラシア大陸からアフリカ大陸にまたがる大帝国を築き,エジプトも征服して大都市アレキサンドリアを建設しました.
・クレオパトラ7世(在位B.C.51〜30)
プトレマイオス朝最後の女王.
絶世の美女といわれていますが,その真否はともかく,9ヶ国語を操る語学の天才で,会話の巧みさから人を魅了する女性だったといわれています.
海外を旅行して,チップの扱いに戸惑った経験をお持ちの方も多いのではないかと思います.
ところがエジプトを旅行していると,さらにそれにバクシーシというものまで存在し,頭が痛くなってしまいます.
バクシーシというのは,もともとイスラームの『喜捨』,つまり経済的に余裕のある人が貧しい人にお金または物を与えるのは当然である,という考えから生まれています.
ところがこれが,『あなたは持っているのだから,もっていない私に与えるのが当たり前!』というかのように持たないものが持つものに,当然のようにお金や物をせびる形になってしまっているようです.
バクシーシをめぐっては確かに不快な思いをすることも多々あります!
エジプト人は,もらったバクシーシが少ないと判断すると,自分が馬鹿にされたと考え,怒ることもあります.
一方,あまりに気前よく支払ってしまうと,良いカモを捕まえた!
といわん馬鹿にしつこく・・・時には集団で! 迫ってきます.
日本にはお金で人間関係が左右されることを嫌悪するきらいがありますが,実際,お金が人間関係の潤滑油となり得ることは事実です.
イスラームでは神もこれを積極的に認めているのです.
違和感をもつことも多々ありますが,そこは民族性の違いです.
郷に入ったら郷に従え・・・小額の紙幣は用意しておき当地に規準に妥当な金額を支払うのが,礼儀である気がします.
では実際,どれほどの金額が妥当なのでしょう?
一般の食堂などでは,ウェーターに30〜50pt.くらい,ちょっと高級なレストランなら料金の1割程度をテーブルにさりげなく置いておくとスマートです.
トイレでもまず,無料ということはないので,50pt.を渡すのが相場です.
イスラームの国,エジプトでは,祝日もイスラーム教の行事と強く結びついています.
・イードル・フィトル
ラマダーン(イスラーム暦の第9月で断食月)が終わると,イードル・フィトルと呼ばれるお祭りが行われます.
断食明けのお祭りで,3日間続きます.
普段離れている親戚に会いに行く,といった感じで,特別に何をするというわけではありません.
血縁を何よりも大切にするエジプト人にとっては大切な行事です.
日本でいうと,お盆やお正月などの帰省に値する感覚でしょう.
・イードル・アドハー
イスラーム暦の第12月は巡礼月です.
イードル・アドハーは,第12月の10日に,巡礼が無事終わったことを神に感謝して,羊やらくだを屠る儀式を行う祭りで,犠牲祭です.
巡礼に行ったものだけでなく,故郷にいる人も羊などの首を切り,みんなで食べます.
貧しい人に配ったりもする祭りです.
この間は長い休みとなり,日本でいうゴールデンウィークのようです.
エジプトはイスラーム教徒が90パーセントを占める国ですが,国民の7パーセントはコプト教の信者です.
コプト教の祭りも,イスラームの祭りと同様に『マリウド』と呼ばれ,エジプト各地にある修道院で行われます.
しかしイスラームの場合と異なり,コプト教の祭典は,聖人の死亡日を記念する祭りです.
宗教的な祭典とは別に,公共の祭典があります.
イートル・カウミはそのひとつです.
かなり政治色の強いもので,各県ごとに住民が伝統の民謡や舞踊を披露します.
エジプトはイスラームの国です.
イスラームのモスクの装飾は,イスラーム教徒でなくても非常に興味深い,芸術性の高いものです.
しかしあくまで私たちは観光客であり,地元の人たちの生活を乱すことは避けなくてはなりません.
イスラームの寺院など宗教施設を訪れるときには,肌が露出した服装は避けましょう.
エジプトは非常に暑い国ですが,街中を歩くときも肌の露出は好ましくありません.
実際,現地の人を見ていても,直射日光が肌を直撃するような格好はしていません.
軽く薄いものを羽織っていたほうが・・・たとえば,現地の人が着ているようなガラベーヤは実に当地の気候を知り尽くしたすぐれものです!・・・涼しく感じられます.
モスクでは金曜日は礼拝が行われます.
たとえばカイロのブルーモスク『ガーマ・アズラク』では,13:00〜15:00は礼拝の時間なので,観光客は入場を控えたほうがいいでしょう.
イスラームでは原則として飲酒は禁止です.
エジプトは比較的規則が緩やかで,ステラというビールや,オマル・ハイヤームというワインなど,レストランではアルコール類を置いています.
それでも,特にラマダーンの断食のときにはアルコールは飲みませんし,禁止です.
そんなときには,観光客といえどもあまりおおっぴらにお酒をあおるような真似は避けるべきです.
アルコールに限らず,ラマダーンの期間は,日中,食べ物を持って街中をうろつくような真似はやめましょう.
エジプトでは,第9月のラマダーン月には,毎日,太陽が昇ってから沈むまでの間,いっさいの飲食は禁止です.
これがイスラーム教徒との義務のひとつ『断食『サウム』です.
部外者が考える以上に厳しく,徹底したものです.
飲食やタバコを吸うことはもちろん,唾を飲み込むことも禁止なのです.
病人や妊婦,および旅人は免除されます.
日中は食堂が休業となったりして,旅行者といえどもエジプトにいる限り,ラマダーンの影響をまったく受けないというわけにはいきません.
ともすれば思わぬとばっちりを受けることもあります.
たとえば?おなかがすくと人は誰でもいらいらするものです.
これは本能ですよね?宗教的義務とはいえ,断食はつらいもの.自分たちが食べられないのに,観光客が平然と食べ歩きをしているのは,いらぬ喧嘩を招くもとです.
そうでなくても・・・断食中は,地元の人はおなかがすいていらいらしていますからね?
日没を知らせる大砲などの合図と共に,食堂は人であふれます.この時期のカイロの帰宅ラッシュはまさに地獄です.
誰もが仕事を早々に切り上げ,食べ物が待つ自宅へ直行するからです.
日没後の食事は『イフタール』と呼ばれます.
食堂によっては,この時期だけの特別メニューを出すところもあります.
イフタールを平らげたあとの街には,遊園地や出店が出るなど,お祭り騒ぎです.
ラマダーン限定のとびっきり甘いお菓子も出て,風物誌ともなっていますので,是非,この時期にエジプトを訪れたなら,試してみてください.
お酒は厳禁です.
夜遅くまで楽しく飲み食いし,深夜に床に就きます.
夜が明ける前に朝食です.
これを食べ損なったら,それこそ一日空腹に泣きたくなってしまいます.
そうして夜明けを知らせる太鼓の音と共に,またラマダーンの一日が始まるのです.
カンボジアには,17世紀初めごろからプノンペンやピニャールに日本人町が形成されるなど,日本とは交流があったようです.最盛期には,数百人の日本人がこの地に居住していたといわれます.朱印船貿易によるものでしたが,日本の鎖国以後,交流はとだえ,日本人町も消滅したのです.
今では,カンボジアの観光の要所となっている,アンコール遺跡群ですが,密林のジャングルのなかから再発見されたのは,約100年前のことです.その世界的文化遺産であるアンコール・ワットに落書きをするなど,とんでもないことですが・・・実は,江戸時代の初めに日本の武士がこの場所を訪れていたことが,遺跡に残された落書きから明らかになっています.
当時,日本人はアンコール・ワットを祇園精舎の遺跡と勘違いしていたようです.コーサラ国にあったと伝わる歴史的祇園精舎は,実際には今のインドのウッタンプラデシュ州にあったとされ,現在は整備されて観光地となっています.
ところが江戸初期,加藤清正の家臣の子が,先祖の菩提を弔うためにこのアンコール・ワットに仏像を奉納したというのです・・・そのことが落書きに書かれていたのです.祇園精舎というのは,釈尊が説法した僧院です.1632年にアンコール・ワットを訪れた,森本右近太夫一房は,アンコール・ワットの大寺院を見て,その壮大さに圧倒されてしまったのかもしれませんね.てっきり祇園精舎と勘違いして参拝し,仏像を奉納しました.そしてあろうことか,墨で壁に落書きを残したのです.
カンボジアは,住民の95パーセントが仏教徒です.仏教は,ポル・ポト政権時代には,大弾圧を受けました.しかし現在は,再生中です.もそもそ農村部の人たちは信心深く,寺院は生活の一部として機能していました.祭りや儀礼も寺とは切り離すことができないものでしたし,寺が社会教育の場になっており,そこで成年教育や道徳教育がなされていたのです.カンボジアには,『チュバ・クラム』という,礼儀作法集がありますが,これは仏教道徳や社会訓話などを収集したものです.
カンボジアには,『ポン・プレア』という日があります.この世に善行を行う日とされ,朝,人びとが僧侶の説教を聞くために集まるのです.供え物をささげ,僧の前にひれ伏して功徳を積みます.
もともと,アンコール遺跡群のなかで,巨大な大寺院として12世紀に建立されたアンコール・ワットですが,そもそもこの寺院は建立当時,クメール人〔カンボジア人〕の信仰していたヒンズー教に基づいて建てられたものだったのです.後に,15世紀中頃からシャム〔タイ〕のアユタヤ朝など,タイの勢力が及ぶなか,上座部仏教化して仏像が安置されるようになり,仏教寺院としての体裁を整えたのです.
カンボジアには,『チュバ・プロ』と『チュバ・スレイ』といって,成年の男女になされる道徳教育があります.『チュバ・プロ』は男子訓であり,『チュバ・スレイ』が女子訓です.
道徳教育が廃れつつあるといわれる日本が見習うべきことが多いかもしれません.
カンボジアを訪れる観光客のなかには,東南アジア最大の湖であるトレン・サップ湖の旅情ある景色を楽しみにしている人もいることでしょう.トレン・サップ湖の湖上クルーズは,カンボジア旅行の締めくくりに是非,お勧めしたい観光ポイントです.
トレン・サップ湖は,川を通じてメコン川とつながります.11月〜4月にかけてカンボジアは乾季を迎えます.また5月〜10月には雨季です.トレン・サップ湖は,乾季には排水し,雨季にはメコン川から逆流します.メコン川にとって天然の洪水調節池の役割と担っているのです.雨季になると,トレン・サップ湖の湖水面積は乾季の3倍以上に広がるといわれます.
トレン・サップ湖は,カンボジアの人たちの胃袋を支えているともいえます.湖岸には野生の浮稲があり,世界有数の淡水魚漁場として知られているのです.漁師の多くは,ベトナム人やチャム人です.乾季には定置網漁が行われます.
川や湖で豊富な魚がとれるカンボジアでは,調味料としても魚が重要な役割を担います.ブラホックは,湖や川からとれた小魚を,樽に塩漬けにしてペースト状にした調味料です.そのままお米といっしょに食べることもありますが,卵焼きや野菜炒めなどにも活躍する万能調味料です.乾季の始まる11月ごろからカンボジアでは,家族総出で漁に出ます.プラホックをつくるための小魚をとるのです.そしてとった魚を樽付けにします.地域によっては3月まで続く大作業となります.カンボジアの農村にとって,欠かせない年中行事です.
スパエク
カンボジアに限らず,東南アジア一帯の文化にはインドの影響が色濃く根付いています.特に,インドの長編叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』はタイ,インドネシア,そしてカンボジアにおいて,土着の文化や民話を織り込み,それぞれの地域版ともいうべきものを生み出しています.
カンボジアにおいて,これら2大インド叙事詩は影絵劇となって発展しました.『リムッケー』は,カンボジア版『ラーマーヤナ』として知られています.
スパエク〔影絵劇〕は,『ラーマーヤナ』物語を題材にとった民衆影絵劇です.大まかな筋は決まっているのですが,台本はありません.ほとんど即興で演じられ,その場の軽妙なやりとりが観る者に緊張感と笑いをもたらします.それが,現代に生きる古典影絵『スパエク』の大きな魅力となっています.農村のひとつの娯楽として定着しており,祝い事や収穫後などに寺の境内で行われます.
カンボジアは,首都プノンペンを除くと,アンコール遺跡群のあるシエムレアプといえども小さな都市ばかりといっていいほどです.カンボジアの全人口のうち80パーセントは農村に住んでいます.農村の生活は農事暦によって規定され,農民にとっては自然のサイクルこそが道徳であり,一種の秩序なのです.メコン川とトレッサップ湖,そしてシャム湾・・・と,自然の恵みが豊かなカンボジアでは,今も昔も農民が国家を支えています.
あれほどの隆盛を極めたアンコール王朝が15世紀半ばにシャム〔タイ〕のアユタヤ朝に侵略され,その後,近代においては1970年以来,戦争と虐殺,そして今もジャングルに埋まったままになっている地雷・・・と,悲惨な経験を経てきているにもかかわらず,楽観的で,くよくよしない性格といいわれる農民たちが力強く生活を営んでいる姿をみると,旅人は元気をもらえる気がします.